食塩を考える

ナトリウムとカリウム

私たち人類の祖先はサルだといわれます。しかし、さらに遡れば、ついには、海中の魚類まで辿り着きます。陸上の脊椎動物は、海中の脊椎動物をその祖先としています。海水を環境とする魚は、そこに溶け込んでいる塩化ナトリウムや塩化カリウムなどと密接な生理現象を営んでいます。
その体液は、かなり高い濃度に、これらの溶液を含みます。そして、それがそのまま、魚類の子孫である私たち人類にも受け継がれてきました。

私たちは、まさか空気からナトリウム、カリウムを取り込むわけにいかないから、それを食物に仰ぐことになります。ところが、その食物になる動植物が、海からきたものであるがために、それがまた、ナトリウム、カリウムを含んでいます。私たちは、食品の選択によって、ナトリウム、カリウムの必要量の摂取とバランスをとることができます。

一方、食塩は調味料の王様として君臨しています。食塩がなかったら料理人も主婦もお手上げでしょう。食塩は、単なる味のためではなく、人体が強く要求するものです。塩分なしに、私たちは生きられないのです。古代ギリシャ人が、塩で奴隷を売買した話は有名です。

上杉謙信は、武田信玄に塩をおくりました。中世の街道は、塩を運ぶために開かれたものが多い。「敵に塩をおくる」という言葉が名言として今に生きているのも、根拠のないことではありません。
「サラリー」という英語が、いつの間にか日本語化しましたが、これも塩と関係があります。塩のことを、ラテン語ではサラリウムといいますが、サラリーは、これをもじった言葉です。兵士のことを、英語で「ソルジャー」といいますが、これはサラリーマンの意味だそうです。

敵に塩をおくる話も、奴隷を塩で買う話も、給料を塩で与える話も、現代の私たちにピンとくることではありません。それには、ちゃんとした理由があります。近代までの食生活は、「低塩食」であったのです。

南米の山中に、バナナを主食とし、これに、果物を添え、まれに、鳥や魚や昆虫を捕まえて食べるという食習慣をもつ種族がいます。これは、ヤノマノ族と呼ばれています。調味料としての食塩など、彼らは知っていません。

この食事内容だと、カリウムは異常に多く、ナトリウムは異常に少ない。ナトリウムの摂取量は、食塩換算0.1g以下ですが、これでギリギリにまにあっているのです。昔の食生活は、このヤノマノ族風でした。激しい労働で汗をかくと、脱水と血圧降下とでへばってしまいます。ひとつまみあれば、これが免れるのですから、食塩の価値は、私たちの想像が及ばないほど高かったわけです。

こんな話が出てくると、私たちの生命にとって、あの白い結晶の形の食塩がどうしても必要なように感じますが、特にそんなものを手に入れなくても、野菜や魚や肉に天然に含まれているもので結構まにあうといわれます。

天然の食物のなかに、私たちの必要とする量のナトリウムが含まれているというのに、なおも食塩を欲しがるという事実は、ナトリウムに対する生理的要求の強烈さを示すものです。

現代は様々な食品に食塩が添加されているのですから、特別製の無塩食を続けるか、または大量の汗をかいてナトリウムを失わない限り、これの欠乏症にかかることはありません。

ナトリウム欠乏症が現実に見られるのは、ガラス工場や溶鉱炉など、高温の職場で働く人に限られます。症状は、疲労感、食欲不振、吐き気、思考力の低下、痙攣などの形をとります。高温のところに長くいたのでなくても、連続的な嘔吐、下痢、腎臓病など、あるいは利尿剤の連用などによっても、ナトリウム欠乏症の起きることがあります。ナトリウムは、カリウムとともに、人体に必要な電解質の二本の柱となっています。ナトリウムは細胞外に多く、カリウムは細胞内に多い。神経細胞の場合、これが興奮すると、ナトリウムは細胞内に入り、カリウムは細胞外にでる。

こういうわけで、ナトリウム、カリウムのバランスは、特に神経の活動にとって重要です。それなのに、ナトリウムはとかく過剰になり、カリウムはとかく不足します。ナトリウム欠乏症が神経性のものであるのは、このためです。

腎臓は血液の濾過装置ですが、炎症があったり、ネフローゼが起きたりすると、水とナトリウムの排出が悪くなります。こういうとき食塩が過剰になると、腎臓はその負担に苦しむことになります。
そこで、急性ないし慢性の腎炎の場合、ネフローゼの場合などに、減塩食が必要になるのです。
もともと腎臓という器官は、細胞の環境となる体液の組織を大きく変動させないためのものです。食塩の濃度が大きくなれば、水を捨てずに食塩を捨てるような具合に働いています。

結局、ナトリウムの血中濃度は、腎臓でうまく調節されるのですが、これには、血圧、交感神経系、腎臓血管抵抗、ホルモンなど、いくつかの因子が絡んでいます。要するに、体液の組成を一定に保つために、多くの器官が動員されているのです。

そういうことであれば、必要以上の食塩をとることは、関係各方面に余計な負担をかける結果になり、いわば無用の混乱を招く、ということがわかるでしょう。そして、この混乱の波をどこよりも強烈に被るのが腎臓、ということです。

体液のナトリウムの濃度は、細胞膜の透過性を支配する意味において重要ですが、食塩にはこれ以外の役割りもあります。

私たちは、食道から込み上げてくる胃液を味わうことがあります。この酸味は、「胃酸」とも呼ばれる塩酸からきています。塩酸は塩素と水素との化合物であり、塩化ナトリウムは塩素とナトリウムとの化合物です。私たちのからだは、食塩をとり、その塩素と結合しているナトリウムを水素と置換し、塩酸をつくっています。したがって、食塩が欠乏すれば胃酸が十分につくれません。そこで、胃の機能が低下します。ナトリウム欠乏症にみられる食欲不振は、胃酸の不足が食欲中枢に反映した結果でしょう。

戦前には、私たち日本人は、塩田でつくった粗塩を食用に使っていました。この粗塩は、塩化ナトリウムの他に、大量の塩化カリウムを含んでおり、そのために、塩からカリウムをとることができました。

戦後、粗塩は「イオン塩」にとってかわられました。私たちは純粋な塩化ナトリウムを摂らされることとなりました。そこで、カリウムの積極的な摂取に努めないと、ナトリウム、カリウムのバランスが崩れます。

ナトリウムが、カリウムに比べて非常に大量に存在しているとき、カリウムを十分に摂取すると、ナトリウムが追い出され、バランスが回復されるといいます。
結局、粗塩よりもイオン塩の方が、ナトリウム過剰症を起こしやすい、ということです。

 


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