気づき・集中

人の運動は、意識していない時でも継続して行われるように学習されます。

「動き」は、主に小脳系で学習され、大脳皮質を介さない脊髄での反射的な動きも含め、思考とは別の次元で非常に効率的に行い続けることができます。

このような学習は、意思や自我の成立以前の幼少の頃から行われるものであり、理想的な姿勢などという想定のないところで、本能的に、あるいは環境によって行われていきます。

この幼少期からの学習は、身体の偏位(左右差など)があったとしても、それを習慣として学習してしまう危険性を有しています。そうすると、例えば頭位が中心から逸脱していても、これを普通のこととして許容してしまいます。

感覚への「慣れ」は、正常な日常生活を送るためには必須の能力です。
過剰な情報入力から必要なものだけを選択して注意を向けることによって、混乱せず物事に集中できます。
慣れがなければ、脳は常に興奮した状態になり、集中することができません。
しかし、それゆえに、客観的に自己を把握することができない場合の学習においては、ミスアライメントのまま運動学習をしてしまうという大きなリスクが存在します。

自分の偏位を修正するためには、まず自分の状態に気づく必要があります。

つまり、「気づき」がなければ、修正の必要性が理解できません。
しかし、前述したような感覚への慣れから、自分の状態に気づくことは実はなかなか難しいです。

この「気づき」を、ピラティスでは特に重要視します。

ピラティスの基本的な概念であるコントロロジーとは、自分の「体」を自分の「意志」によって制御するということであり、そこには無意識のものすら意識することで変革できるという考えがあります。

そのためには、「集中」力が必要であり、集中する精神状態が必要です。
つまり、この基本原則は、すべてのエクササイズの基礎となる条件のようなものであり、ここがクリアできなければ意図的な修正、改善が難しくなることを示しています。

自分の体からのフィードバックに対して意識をもっていけない状態では、自分の体の声を聞くことはできません。
違和感や痛み、伸長感、五感、内臓感覚、平衡感覚などすべての情報が気づきへのヒントでありきっかけとなります。

気づくためのヒントとして、客観的な情報は有益です。
例えば写真や動画なども自分の状態を把握するためには有用です。
しかし日常の中では、ショーウィンドウのガラスに映る自分の姿を見るような時以外に、そうあるものではありません。

最終的には自分の内部の感覚であり、自分の中での基準を持つ必要があります。
この内部への意識化は、内側前頭前野や島皮質などが担っているといわれています。