筋肉の老化は防げる

ご存知の通り、私たちの体を組み立てている細胞の多くは、新しいものが古いものに置き換わるという変化を、休まずに繰り返しています。

ところが、例外的にその細胞交代をしない組織があります。

それは、脳と筋肉です。

それらの細胞は「分裂完了細胞」といわれるもので、発生を終えたあとでは、分裂によって新しい細胞をつくることをしません。

そういうわけですから、筋肉の細胞、つまり「筋細胞」は、一旦死んだらもうそれでおしまいだといわれてきました。ところがその後、この話が違ってきました。

幼児期に筋細胞がつくられる時、つまり「筋幹細胞」が分裂する時、その親細胞の一部が休眠状態で残っていることがわかりました。

その眠っていた筋幹細胞が、いざという時に目覚めて分裂を開始し、新しい筋細胞をつくりはじめるという、事実が発見されたのです。
この細胞の名は、「サテライト細胞」です。

ここで、筋細胞の構造について、説明します。

骨格筋を例にとると、その多くは紡錘形をしていて、両端が腱になっています。筋肉は筋細胞であり、腱は結合組織の細胞がつくったコラーゲンでできています。

筋肉について考えるのには、まず筋細胞のつくりや仕組みを知らなければなりません。

細胞というものは、普通一個の細胞に一個の核をもっています。ところが、筋細胞は「多核細胞」といって、一個の細胞がたくさんの核をもっています。

これは、筋肉がつくられる時、いくつかの細胞が融合して一本の「筋繊維」を組み立てたことによるのです。筋繊維の一本一本が、筋細胞であるわけです。

筋繊維は円柱の形をしています。筋繊維の中には、たくさんの「筋原繊維」が束になって包み込まれています。これも円柱形をしています。

筋肉の役目が収縮にあることはご存知でしょう。
筋肉が収縮するということは、筋原繊維が収縮することに他なりません。

筋原繊維の中には、二種類の糸のようなものが平行に並んでいます。
この糸のようなものを、「フィラメント」ということにします。
太いほうはミオシンフィラメント、細いほうはアクチンフィラメントです。
「アクチン」も「ミオシン」も、タンパク質です。

筋肉が収縮するとき、つまり筋原繊維が縮まるとき、アクチンがミオシンの間に滑り込む形になります。
これを筋肉収縮の「すべり説」といいます。
アクチンとミオシンの二つのフィラメントがお互いに滑り込むと、筋原繊維が縮み、筋肉が収縮するのです。

病院でベッドに寝ていると、足は細くなります。筋肉が細くなったのです。
このとき、筋原繊維の数も、筋細胞の数も減ってはいません。フィラメントの数が減ったのです。

高齢者を見ると、手足が細くなっています。
よく、枯れ木のようだなどという形容があるでしょう。
この場合も、筋細胞の数が減っているのではなく、フィラメントの数が減っているだけなのです。

入院していた人が、退院して普通の生活に戻ると、足の太さも少しずつ元に戻ります。
これは、足の筋肉を使うことによって、フィラメントの数が増えたのです。
このことから、筋肉は使わないでいるとフィラメントの数が減り、使うようになるとそれはかなりすみやかに増える、という関係がお分かりでしょう。

ボディビルというトレーニングがあります。
これの狙いは、筋肉を太くすることにあるのですから、フィラメントを増やせばよいわけです。
フィラメントはタンパク質なので、このときは高タンパク食をとることが必須の条件となります。

こういうわけで、筋肉のフィラメントは、減ったり増えたりすることができることになります。
スポーツをやればフィラメントが増えるので、筋肉は発達します。
スポーツをやめればフィラメントが減るので、筋肉は萎縮します。

このようなことを考えてみると、筋肉に老化はないとしてよいことがわかるでしょう。歳をとったからといって、筋細胞が減るわけでもなく、フィラメントの質が変わるわけでもないのですから。

それはそうとして、高齢者のからだが硬くなったように見えることは事実です。
それは、どうしたことなのでしょうか。

からだを手で触ってみると、筋肉のかたい人もいるしやわらかい人もいます。
しかし、からだがかたいということは、動きがぎこちないことであって、触ってみて筋肉がかたい感じがすることと同じではないのです。
それは、関節の可動範囲が狭い、ということに他なりません。手足の関節の動きの範囲が狭いと、からだがかたいという感じを与えることになるのです。

では、関節の可動範囲が狭くなるのはなぜでしょうか。それがつまり、筋肉の老化というものではないのでしょうか。

関節を組み立てている骨は、釘のようなもので支えられているわけではありません。
だから、まわりをしっかりおさえていなければ、はずれてしまいます。これがいわゆる「脱臼」です。

関節にはかなり大きな力がかかりますから、脱臼を防ぐのにはとても強い力がいります。膜で包んだぐらいでは足りないのです。つまり、筋肉の力が必要になります。

これと似たような事情が、肩甲骨や骨盤にもあります。
これらもがっちりした支持物がなかったら、ぐらついて困るでしょう。そして、この支持にもゆとりがないと、からだの動きはぎこちなく、ここでもかたい感じを与えることになります。

ところで、筋肉には「随意筋」と「不随意筋」とがあります。
随意筋というのは、意志によって動かすことのできる筋肉、不随意筋というのは、意志によってはどうにもならない筋肉のことです。
手や足の筋肉が、随意筋だということはおわかりでしょう。心臓や動脈などの筋肉が、不随意筋だということもおわかりだと思います。

私たちが歩く時、足を前方に出さなければなりません。
それにはまず、太ももの骨、つまり大腿骨を持ち上げて、前方に振り出す必要があります。
それには、大腿骨の表側についている筋肉を収縮させなければなりません。
このように、からだの部分を折り曲げる働きをする筋肉を「屈筋」といいます。この筋肉は、もちろん随意筋です。

次に、大腿骨の下にあるすねの骨、つまり脛骨の表側にある筋肉を収縮させて、すねを前方に振り出さなければなりません。
この筋肉は膝を伸ばす働きをするので、「伸筋」と呼ばれます。

こうして振り出された足が地面に着くと、今度は地面を後方に蹴るために、ふくらはぎの筋肉が収縮することになります。これは膝を曲げる筋肉ですから屈筋です。

このように、屈筋と伸筋とがあります。
歩行の時にはこれが交互に働きますが、直立している時には、両方が適当に働いて姿勢を保つのです。

今までに説明したのは、足の随意筋が歩行の時にどのような役割をもつか、ということでした。
これは表面に現れる現象ですが、裏方には不随意筋があって、それが一生懸命に頑張って関節や骨盤などを支えてくれています。
この不随意筋にも、屈筋と伸筋とがあります。それらが拮抗してバランスをとっているのです。

私たちのからだが、目的にかなうように、また合理的にできていることはびっくりするばかりですが、この二種類の筋肉の配置についても、その見事な実例がみられます。
肩の関節をとりまく筋肉にも、肩甲骨を支える筋肉にも、随意筋と不随意筋の両方があるのです。
肩の関節も肩甲骨も、不随意筋でしっかり守っておいたうえで、随意筋で思い通りに動かす仕組みになっている、ということです。
随意筋ばかりだったら、うっかりしているうちに腕がぶらぶらになった、というようなことになりかねないでしょう。

中年を過ぎると、腕が背中にまわりにくくなったり、肩甲骨が背中に張り付いたようになったりします。
これは、ここについている不随意筋の短縮によるものだと思います。

赤ん坊が足の指を舐めることはよく知られていますが、これは、筋肉がよく伸びて骨がよく動くことを示す現象です。
この時期には十分に伸びた筋肉が、歳をとるにつれて短くなってくるので、からだがかたくなると考えてよいのではないでしょうか。
そして、短縮した筋肉が主に不随意筋だということも、合わせて考えてよいのではないでしょうか。

あなたは、前かがみになって手を下に伸ばした時、指先が床につきますか。
若い時にはついたのに、歳をとったらつかなくなった、という例はいくらでもあります。

この前屈で手が床につくためには、背中の広背筋や、太ももの裏側の筋肉、ふくらはぎの腓腹筋などがよく伸びる必要があります。これらの筋肉はどれも屈筋で、しかも随意筋です。

前屈が十分にできなければ、からだがかたいといわれるでしょう。
この場合は、ここにあげた随意筋の短縮だけではなく、不随意筋の短縮も起きているはずです。

畳ではなく、椅子の生活を続けていると、若い時のようにラクには座れなくなります。
この場合も、足の甲の筋肉や大腿骨の表側の筋肉が短縮してしまったのです。
これも、からだがかたくなる現象の現れですが、やはり筋短縮の問題です。
結局、筋短縮は随意筋にも不随意筋にも起きるのです。

筋肉が短くなったということは、フィラメントが短縮しているわけです。
フィラメントの長さは、筋肉の伸縮の幅が大きいほど長くなければなりません。伸縮の幅が狭ければ、フィラメントは短くて済むわけでしょう。

原則として、私たちのからだは、無駄を省くようにできているということです。

例えば、はじめは背中によく届いた手でも、背中に持っていくことをさっぱりしなくなれば、そこの筋肉はよく伸びる必要がなくなります。
それならば、フィラメントは短くてよいことになるでしょう。節約は、こういう形で現れるのです。
もちろんそれは、異化と同化の代謝回転のなかで行われることになります。

フィラメントの短縮が不随意筋で起きるとすると、これを元に戻すのは大変です。ストレッチとか整体・マッサージとか、外力でその筋肉を伸ばすトレーニングをしなければならない理屈になるでしょう。

高齢者は、特別な対策をしない限り、からだを大きく動かさなくなります。
そうすると、そこの筋肉群に節約の法則が働いて、フィラメントが短くなり、関節・肩甲骨・骨盤などの可動範囲を狭くするのです。
それは、からだがかたくなる現象として現れることになります。
その変化は、日常生活に差し支える程のものではないので、あっさり見過ごされるのが通例です。

歳をとるにつれて、歩く時の歩幅が狭くなる傾向があります。
これは、歩行に関わる筋肉が短縮したことのあらわれです。
この変化を意識して、こうならないような対策につとめれば、この年寄りじみた歩き方にならずに済むかもしれません。

これに成功すれば、歩き方の点では年寄りくさくならないでしょう。
しかしこれは、あくまで歩行に関わる筋肉群の短縮を防ぐことができた、というだけの話で、全身的な老化を防いだ証拠などにはなりません。

これと同じことは、色々な場合にいえます。特定のポイントにしぼって老化を防ぐことに成功したからといって、全身に忍び寄る老化を押しとどめたことにはならないのです。

そうかといって、ここにあげたような細かな点を、どうでもよいと放っておいては、どんな老化対策も実りが薄いことになってしまうでしょう。

ところで、このようにからだがかたくなる現象を、本当に老化と呼んでいいのでしょうか。

もし、赤ん坊の時から、ずっと足の指を舐め続けるようなからだの動きをしていたら、歳をとってもそれができるでしょう。
このときは、関節・肩甲骨・骨盤などの可動範囲が狭くはならないことになります。
つまり、からだはかたくならずに済みます。
そうすれば、可動範囲に関する限り、老化はしなかったことになるでしょう。

現実をみると、不随意筋を伸ばすような運動、つまりからだをやわらかくするための運動を何十年も続けているという人など、まず一人もいないでしょう。
これを、怠慢ということにしておきましょう。

老化の定義を、加齢とともに起きる形態上の変化と、加齢とともに起きる機能の低下することが許されるならば、からだがかたくなること、すなわち筋肉の短縮は、老化のひとつの姿だということになります。
そして、それは怠慢の結果だということになります。この場面では、怠慢を老化圧ということができるでしょう。

ヨガ・ピラティス・ストレッチ・整体・マッサージなどの外力によって、怠慢という老化圧を押しのけて、からだの柔軟性を取り戻すことはできます。
これがうまくいけば、この点での若返りに成功したといわなければならないでしょう。

若返りは、老化の逆過程としてよいでしょう。
こう考えると、この問題は、老化が可逆変化であるという前提をおくことになります。
果たしてこれは正しいことでしょうか。
骨の老化を例にとって、この問題に取り組むことにしましょう。

骨の脱灰は、加齢とともに起きる形態上の変化ですから、先ほどの定義によれば、これは老化現象です。
しかしこれは、カルシウムやビタミンCの摂取の失敗から起きるわけで、この点を十分に注意すれば、原則として骨粗鬆症にならずに済むのです。

栄養物質の摂取の失敗が怠慢からくるとすれば、怠慢が老化圧になります。
怠慢ではなく無知だったとすれば、無知が老化圧となって私たちに老化を押し付けます。

骨粗鬆症は、栄養条件の整備を心掛けていれば、原則としてなおる病気です。
もしこれに成功すれば、ここでもまた若返りがみられることになって、老化は可逆変化だという論理になるでしょう。

ここまでをまとめてみると、怠慢や無知が老化圧になる場合があること、怠慢や無知が解消すればある種の老化が元に戻ること、となります。

しかし、これがどこの老化にも当てはまるかどうか、それがあとの問題になるわけです。

ところで、筋肉の老化は短縮だけではないはずです。
骨における老化に、カルシウムパラドックスという現象があります。
この時にできるカルシウムの余剰は、コラーゲンに結合して沈着する性質をもっています。
筋肉にも、腱にも、靭帯にも、心臓弁にもコラーゲンがあるので、カルシウムはそこに沈着することになりがちなのです。
カルシウムパラドックスが度重なれば、沈着カルシウムの量はだんだん増えることでしょう。
「五十肩」と呼ばれる症状があります。
これの原因のすべてがカルシウム沈着によるものではありませんが、そういうもののあることがわかっています。
この場合、カルシウムは痛みのもとの物質になっているわけです。

カルシウムの筋肉への沈着は、加齢とともに起きる形態上の変化であるという意味で、老化の側面の一つといえるでしょう。
これをカルシウムパラドックスについての知識の欠如からきたと考えるなら、この場合の老化圧は、怠慢というよりは無知ということになるでしょう。

このように沈着したカルシウムは、代謝のコースから外れてしまうので、代謝回転をしません。ということは、そのカルシウムが自然に無くなることを期待するのは無理だということです。(この場合の典型例はカルシウム沈着型の五十肩です。整体などの外力で取る必要があるでしょう。)

ここで、必ずしも老化対策とはいえないことですが、フィラメントの数を増やす方法は二つあります。

第一の方法は、筋膜を伸ばすことです。これはつまり、筋肉を無理に伸ばすことになりますから、結局は、ストレッチです。
第二は、アイソメトリクスです。日本語にすれば「等尺収縮」です。
これは長さを変えることなしに、筋肉を収縮させるという意味です。

歳をとれば筋力は低下します。
しかし、上記の方法を行うことで、その低下を跳ね返すことができます。

このように考えていくと、歳をとれば筋力が弱くなるという思い込みは、おかしいということになりそうです。
筋力の低下は、まるごと偽の老化だとはいえないかもしれませんが、怠慢という名の老化圧の影響を否定することはできないのではないでしょうか。

ところで、骨格筋には、色による分類があり、白い色の「白筋」と、赤い色の「赤筋」があります。
表面に近いところは主に白筋、深いところは主に赤筋です。
そして、両者が入り混じったところもあります。
白筋と赤筋とでは、エネルギー代謝のタイプが違うのです。

からだのなかで、エネルギーをつくる装置としてよく知られているのは、「ミトコンドリア」です。
これは細胞小器官のひとつで、赤い色をしています。
それは、チトクロームという鉄タンパクを含んでいるためです。
ミトコンドリアでは、脂肪酸やブドウ糖を原料にして、酸素やビタミンB1などの助けを借りてエネルギーをつくります。
このエネルギー生産の産業廃棄物は、水と二酸化炭素だけです。

赤筋は、ミトコンドリアが多いために赤く見えるのです。
そして白筋は、ミトコンドリアをほとんどもたないために白く見えるのです。
白筋のエネルギーづくりでは、酸素もビタミンB1などもいりません。
そのかわり効率が悪く、エネルギー源をふんだんに消費します。
そして、廃棄物として乳酸をつくります。

白筋と赤筋とでは、役割が違います。
白筋は瞬発力を得意とし、赤筋は持久力を得意とします。
スポーツには、白筋を主に使うものと、赤筋を主に使うものとがあるわけです。

激しい運動をすると、筋肉がかたく凝ります。
白筋の場合、コリの主役は乳酸でしょうから、これを揉み出せばコリはとれるはずです。
しかし、赤筋のコリはこれとメカニズムが違って、なかなかとれません。
筋肉の深いところのコリがとれにくいのは、そのためです。

赤筋のコリの正体については、定説がないように思います。
下記は仮説です。

赤筋のミトコンドリアは、酸素の供給なしには働けませんが、筋肉の緊張が激しいと、一時的に「虚血」に陥ることがあるでしょう。虚血とは、血行がストップすることです。筋肉の緊張はやがてとけます。すると「再灌流」がはじまります。

それは結構なことなのですが、この再灌流で運ばれてきた酸素は、活性化することが知られています。
一方、筋肉のフィラメントは、レシチンの膜をかぶってすべりやすい状態におかれているはずです。

レシチンは、リン脂質の一種で不飽和脂肪酸をもっています。
これが、活性酸素の攻撃の対象になることは必至です。
ここから過酸化脂質ができ、それがくっつきあうので、フィラメントはその一部がかたまってしまうでしょう。
これが、赤筋のコリの正体です。

ところで、白筋に起きるような、酸素を使わないエネルギー発生過程を「嫌気的解糖」といいますが、このとき出てくる乳酸が、脳や心臓や赤筋でもエネルギー源として利用されるという事実があります。

ここで、糖尿病という病気についてです。
この病気は「老化のモデル」といわれます。
糖尿病患者の血液は、ブドウ糖をたくさん含んでいます。
ブドウ糖の分子は、六角形のいわゆる亀の甲型をしていますが、活性酸素の攻撃を受けるとこの六角形がやぶれます。
このやぶれて鎖のようになったブドウ糖分子は、タンパク分子にくっつく性質をもっています。
この結合物を「アマドリ生成物」といいます。
糖尿病患者の血液には、そうでない人の血液と比べて、二~三倍のアマドリ生成物が含まれています。

アマドリ生成物は、活性酸素の攻撃を受けると、次第に水を失って、何ヶ月か何年かののちに「AGE’s」という物質になります。
AGE’sには、タンパク分子の間に橋を架ける働きがあります。
眼球の場合、こうして水晶体のタンパク質がかたまったのが白内障です。
筋肉がかたくなることの背景には、フィラメントとフィラメントの間にAGE’sによる結合があるのではないか、と考えられます。

ということは、白内障の予防も、からだがかたくなることの予防も、同じ対策ということでしょう。
血中にブドウ糖がたくさんいる状況をつくらないこと、活性酸素除去物質の積極的摂取、とこういうことになります。