今の医学には病気を予防する力はない

医学界では、「現代の医療は”治療”より”予防”を」が合言葉になっているようです。こういう目標を掲げること自体、文句はありません。病気を治療するのはもちろん大事ですが、病気にならないようにするのはもっと大切です。

しかし、大半の医師が「病気予防のため」と称してさかんに勧めるのは、人間ドックや定期健診です。要するに、こまめに点検して故障を早く発見しましょう、という発想に過ぎません。

これでは「予防」の名に値しません。
早期発見と予防とではまったく意味が違います。
たとえ早期発見に成功したとしても、その時点ですでに病気が発生していることに変わりはありません。人間ドックや定期健診によって「予防」できるのは病気のさらなる悪化であって、病気そのものではありません。病気の予防を合言葉にしながら、その一方で人間ドックに力を入れるというのは、目的と手段が完全にズレた行為だと言わざるを得ません。

さらに言えば、今の医学は予防に関する明確な学問体系がなく、彼ら自身、病気が予防できるとは考えていないのです。でなければ、予防と早期発見を混同するような不明瞭なことをやり続ける必要はないのではないでしょうか。

もっとも、本当に病気を早期発見して悪化を食い止められるなら、人間ドックにも一定のメリットはあります。
ところが現実には、ここにも大きな疑問符がつきます。
毎年、定期的に人間ドックに入っているからといって、決して安心できないのは、皆さんも承知しておられることでしょう。

たとえば、たしかに人間ドックでガンが発見されたが、早期発見どころかすでに手遅れの状態だった、というケースは珍しくありません。
あるいは「異常なし」と診断されて喜んでいた人が、半年も経たないうちにガンで亡くなってしまうことさえあります。
ガンは”早期発見”されたときには、すでにガン細胞の数は10億を超えているのが普通です。
さらには、急性心臓死した人のおよそ6割が、人間ドックでの心電図では「異常なし」と判定されていた、というとんでもないデータがあります。

このような無駄な検査を受けるために殺風景な病院に泊まり込むくらいなら、高級ホテルにでも泊まって散財したほうが、よほどマシです。
人間ドックの「異常なし」ほど信用できないものはありません。自動車や飛行機の整備士のほうが(ときにはミスがあるとはいえ)、よほど責任感を持って「異常なし」と判断しています。

人間ドックで重大な病気やその兆候が見逃されるのには、いろいろな理由があります。
一つはヤブ医者ならぬ「ヤブ人間ドック」が野放しになっていることです。
驚いたことに、人間ドックという商売には公的な基準や規制がまったくありません。
日本病院会という組織が自主規制項目を設けてはいるものの、その組織が把握していない業者のほうが多いのです。
そういう人間ドックでは、たとえば血液検査がどの程度の精度で行われているのかわかったものではありません。
ビジネスとして利益ばかり追いかけていけば、検査の内容はどんどんずさんになっていって当然でしょう。

「医は仁術なり、算術にあらず」という標語は江戸時代からあったわけですが、こんなことが昔から言われ続けたということ自体、いかに”算術の得意な医者”が多いかの証明でしょう。

であれば日本病院会の指定を受けた人間ドックを選べば安心かというと、そうもいきません。どんなに優秀な人間ドックでも、病気の見逃しは起こり得ます。
人間ドックでは発見されにくい病気がいろいろとあります。たとえば、血液検査で発見できる糖尿病や脂質異常症、画像診断が容易な胃や肺の病気などは、一般的な人間ドックでも見つかりやすいです。
しかし、膵臓や腸などの病気は、特別な検査を行わないと発見できるものではありません。半日で済むような人間ドックでは、膵臓ガンや大腸ガンはまず見つからないと考えたほうがよいです。
“ありふれた頻度の高い”病気を、短時間で大量に処理できる検査で見つけようとする人間ドックは、システム自体に構造的な問題を抱えているのです。

人間ドックという言葉には、体の隅から隅まで万遍なくチェックしてくれるような印象があります。だからこそ利用者は「異常なし」と言われると大きく胸を撫で下ろし、健康に自信を持ちます。
しかし人間ドックの「異常なし」は、決してパーフェクトを意味するものではありません。そこで異常が見つからなかったからといって、その人が現在も将来も健康であるという保証は何もないのです。

ただし現実には、人間ドックに入って「すべて異常なし」と言われる人より、何かしら異常を指摘される人のほうが圧倒的に多いものです。
「人間ドックに入ると、誰でも病気にされてしまう」と言われるぐらいです。
では、せめて「異常あり」という所見だけでも信用できるかというと、そんなことはありません。ずさんな検査しかしない「ヤブ人間ドック」が信用できないのは当然のことです。
もっと問題なのは、医学的にも技術的にも優秀な人間ドックほど「異常あり」を乱発してしまうことです。

血圧にしろ血糖値にしろ、人間ドックの検査には一定の標準値が設けられています。標準値とは統計的に割り出されたもので、100人を検査すれば80人ぐらいがその範囲内の数値に収まると思えばよいでしょう。
検査の結果、この標準値から少しでもはみ出せば、人間ドックでは「異常あり」と診断されます。そして検査の精度が高ければ高いほど、標準値と異常値の区別は厳密になります。
そのため優秀な人間ドックほど些細な「はみ出し」に敏感に反応し、「異常あり」の所見が増えるのです。

日本病院会関連の人間ドックを受診した人のうち、なんと80%ほどが何らかの異常を指摘され、「精密検査や治療が必要」と70%近くが宣告されているようです。
これでは、日本中、病人だらけということではないでしょうか。

しかし人間の健康状態というのは、統計に基づいた数値できっちり割り切れるようなものではありません。生体には「個体差」があります。いくら標準値をはみ出していても、それは生まれつきの体質であって、常識的な意味では異常と呼べないものです。それを無理やり標準値に近づけようとすれば、かえって健康を損なう恐れがあります。

わかりやすい例を挙げてみましょう。
育児書などには生後何ヶ月の乳児は体重何グラム、身長何センチといった平均体重、平均身長というものが書かれています。
多くの母親はその数値と自らの子どもの数値とを比較して一喜一憂します。しかし少し冷静に考えてみれば、平均体重、平均身長ピッタリの子どもなんているわけがないことがわかります。これは数字を足したり、割ったりして出来上がった架空の存在で、そんな”お化け”をお手本とする発想そのものが問題なのです。
人間ドックの数値も、基本的にはこれと変わるところがないと、まず考えるべきなのです。

しかしほとんどの医師たちは生体の個体差について理解が浅いため、平均値だけで「異常」と「正常」のあいだに単純な線を引き、わずかな誤差を見つけては「病気だ」と騒ぐのです。

その結果、何が起きるのでしょうか。

つまり多くの人が、病気でもないのに血圧降下剤を飲まされたり、減量を強いられたりしています。
まさに、医師は病人の症状を悪化させるだけでなく、健康な人まで病気にさせようとしているのです。

 

 


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